journal

夏のトゥルク

2024.09.03

( Nordic Journal )






季節の巡りを感じるとき、
そこには祝福と空虚がともに存在している。





季節への祝福は人が自然と生きている証であり、
過ぎし時間への空虚、それはノスタルジーだ。








ふと、思い出すトゥルクの夏。
それは、たしかに夏だった。
夏の風が、吹いていた。









よく訪れているヘルシンキと比べると、トゥルクの街はずいぶんと明るく、鮮やかに感じられました。地理的にも、歴史的にも、ふたつの街には違いがあるのだから、その新鮮さはある意味当然とも言えるのですが、この街は、なんだか明るかった気がします。









「トゥルクがあるのになぜパリに行くのか?」



フィンランドには、こんな言葉があるようです。
霞がかったかつてのこの街の記憶を辿ると、たしかにそうである(…かもしれない)とも思えます。木陰のカフェは暑さを凌ぐ人びとで賑わい、街の中心には大きな川が流れている。エッフェル塔はないけれど、大聖堂も、美術館も、城もある。たしかに、いわゆる“美しい街”の条件を満たしているような気もします。



















過ぎ去った日々。
写真のなかに残り続ける夏の記憶。
どこか遠くのワンダーランド。










過ぎし時間への空虚、
それはノスタルジー。










“空の青さを見つめていると 私に帰るところがあるような気がする”

谷川俊太郎 『空の青さを見つめていると』





夏のトゥルク

( Nordic Journal )

2024.09.03

Text & Photography : lumikka