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夜と夢
2024.11.21
( Nordic Journal )
夢を見ている時、それが「夢を見ている」という現実か、「夢」という幻想であるのか分からなくなることがあります。
その世界を見ているのか、
或いはその世界の中に生きているのか。
夢は現実なのか、
夢は結局夢なのか。

雪の積もる夜の針葉樹の森を歩いたことはあるでしょうか。
深い闇が空の青さを、深い雪が街の気配の一切を消し去ってしまう。そのような孤独を伴うの夜の森は、人々を夢の世界へと誘います。
人が「夜」に生きるようになったのはいつからでしょう。
街灯も、街の明かりも存在しない太古の世界に、夜を知覚する術も伝える術も無かったはずです。夜は昼の対極としてではなく、失われた時間の領域として、或いは世界の空虚として存在していたのではないかと思うのです。
人は夢の中を生きることがあります。
詩人は寝ることを忘れて言葉の海を漂い、旅人は静寂の時を彷徨います。夜の眠りの中で眺めていたはずの“夢”は現実と重なり、時に夢現の境に立ちながら、彼らは独り世界に佇むのです。

夢を思い出そうとするように、
遠くの世界を想像すること。
夢の続きを辿るように、
誰かの残した足跡を辿ること。

光に希望を見出すこと。
光こそが希望であるということ。

はじまりも終わりもない夢の世界を想像ながら、夜の中を歩いてゆく。
夜
谷川俊太郎 『夢』 1950. 4. 25
古い記憶が
僕の夢を織った
それで
夢は深い所へおちて行った
ながい間
雨は降り続き
小さな蹉跌にも
僕はやさしい言葉をもとめている
夜と夢
( Nordic Journal )
2024.11.21
Text & Photography : lumikka