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白銀の彼方へ
2025.09.17
( Nordic Journal )

遠く、遠くの雪の国。
遥か彼方、北の果て。
北緯66度に位置するロヴァニエミは北極圏にあり、冬になると北の果てを目指す人びとが世界中からやってきます。(北極圏とは北緯66度33分以北の地域のこと。グリーンランドやアイスランド、シベリアやアラスカなどの限られた地域が属しています。)
北極圏の冬は、冷たく厳しい過酷な世界。数年前に訪れた11月のロヴァニエミは、日中でも-12度でした。しっかりと防寒をしていても、30分ほど外にいるだけで手先や鼻先が痛みを伴うほどすっかり凍えてしまいます。アラスカに住み、北の自然と生命を愛した写真家の星野道夫さんは、アラスカの冬についてこう言葉を残しています。
一年の半分を占めるアラスカの冬。それは雪の世界である。
星野道夫
人も動物も植物も、雪と関わりながら
この土地の切れるような冬を生きている。


“切れるような冬”とは、なんともリアリティにあふれた言葉だなと思います。切なさは、常に痛みだけを伴うわけではなく、時に美しいという感情も含むことがあるのですから。北の地で感じた肌を刺すような冷気の痛みも、不在が生み出す寂しさも、「美しさ」という自然が残した奇跡のために存在しているようでした。


歩いても歩いても、雪の世界は続いてゆく。
世界の輪郭も、色彩も、失われたままに。
雲海という言葉があるのなら、この雪の広がりを雪海と呼んでもよいのでしょうか。白銀にきらめく雪海は、人の歩みや風の声をその表層に鮮明に写しながら、冬の風景を絶えず更新してゆきます。




その造形、その秩序が、然るべき科学的な道筋を辿って生み出されたものなのか、或いは自然の神秘による偶発か。極北の風景を眺めていると、そういう素朴で問いが頭をよぎります。
壮大な雪の海に圧倒されたり、小さな世界の秩序に感動したり。でも、その全てがいずれ消えてしまうのかと思うと、これは確かに切れるような冬、つまり切なさを帯びた季節だと実感するのです。


寒さに凍えながらも、明るさに導かれて歩いてしまう。雪景色には、そういう不思議な引力が働いているのでしょう。わずかな光や色彩であっても、たしかにそこに存在しているということ。その事実が、冷えた心をじんわりとあたためてくれます。



冬はほどなく春へと変わり、きっとこの風景も溶けて消えてゆく。それでも、新たな芽吹きが憂いる間もなく氷の下からやってきて、また、その季節を人は美しいと思うのでしょう。
季節はいつも待ってはくれないけれど、寂しさの中に喜びを残しておいてくれます。
白銀の彼方へ
( Nordic Journal )
2025.09.17
Text & Photography : lumikka