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デザインを探して|06. 人とモノの物語

2023.06.24

( Nordic Journal )







私たちの生活にはたくさんのモノが溢れていて、その背後には、人の記憶と結びついた様々な物語がひそんでいます。子供の頃の思い出とか、ありふれた日常の風景とか。

デザイン(Design)の語源は、計画を印として描くこと・残すことだと聞いたことがあります。では、“フィンランドデザイン”が現代に残したものとはいったいなんなのでしょう。


先史時代よりつづく、人とモノの物語。
今回は、タンペレとヘルシンキの街を歩きながら、モノへの想像を巡らせます。



大きな街を歩いていると、たびたび目にするのがこのセカンドハンドショップ。日本だとリサイクルショップと呼ばれることが多いのかもしれません。

セカンドハンドやリサイクル品、ヴィンテージ品など、いわゆる「中古品」を指し示す言葉はさまざまですが、フィンランドには、それらの「モノ」を長く循環させるための仕組みと文化が根付いています。



これらのショップには、家具のような大きなものから雑貨や本まで、多種多様なモノたちが次の居場所を求めて待ち続けています。

フィンランドのセカンドハンドの文化は、今でこそ環境問題や現代社会と紐づけられて語られることもありますが、元を辿れば、戦中・戦後の欠乏の時代を耐え抜く術のひとつだったのではないかと思います。その文脈は戦後のフィンランドの「モダンデザイン」とも繋がっています。金銭的にも精神的にも厳しい時代に、人々が長く使える普遍的なモノを求めたことは極めて自然なことだったのでしょう。





新しいモノと古いモノ。


「新旧」という言葉は、たびたび対比的な使い方がされるものですが、フィンランドにおいては連続的で、分断することのできない言葉の連なりです。街のセカンドハンドショップでは、生まれた場所も時代も異なるモノたちが同じテーブルの上に肩を並べており、もはや新しさと古さの概念は意味をなしていません。

置かれているモノのひとつひとつに、かつての使い手の痕跡や思い出が閉じ込められているんだなと想像してみると、なんだか愛おしくも思えてきます。




それなりの値段がつけられている絵画から、捨てられる一歩手前のガラクタまで。ショップには生活にまつわる様々なものが混沌と置かれていて、まるで博物館のようです。

けれどそれは、とても庶民的な博物館です。かつての王族の暮らしを展示するような国立博物館とは決定的に違っている、あくまでも匿名の、そしてごく一般的な生活を記録するための博物館です。一部が破損していたり、名前のイニシャルが油性のマジックで書かれていたり。そこにある全てが、人の生活の一部として確かに”生きていた”モノなのです。



モノの多くは、街の回収ボックスや持ち込みによってセカンドハンドショップへとやってきます。運営者は、非営利な組織のこともあれば、民間の企業だったり、個人だったりと様々です。

しかし、そのほとんどが「普通の家庭からやってくる」という点においては共通しています。



それは、著名なデザイナーのプロダクトを取り扱うヴィンテージショップでも同様で、モノたちは、絶えず家庭とショップを行ったり来たりしているのです。




「フィンランドデザイン」は、砂浜に落ちている石ころのようだなと思うことがあります。石屋に並ぶようなつるっとして丸い石は、それはそれでやっぱり綺麗なのですが、いびつな石が妙にしっくりと手に馴染む、そういうこともよくあります。





結局のところ、私たちが探しているのは「美しい石」ではなくて、「石のそばにある風景」なのだと思います。

有名なモノや無名なモノ、新しいモノや古いモノ。そういう、すべての要素があつまって、はじめてそれを「フィンランドデザイン」と呼ぶことができるのではないでしょうか。


本当のことも、正しい答えも分かりません。しかし、その曖昧さの中にこそ、本質的な何かが隠されているのではないかと思っています。







デザインを探して|06. 人とモノの物語

( Nordic Journal )

2023.06.24

Text & Photography : lumikka
Written for : LAPUAN KANKURIT